消しカスの山の上

東京の大学生のブログ。日常で考えたあれこれをがんばって言語化します。

俺にはこれがあるから 【考察】-映画『桐島、部活やめるってよ』とCreepy Nuts『トレンチコートマフィア』-

 映画『桐島、部活やめるってよ』は、多様な登場人物それぞれの視点から描写されており、特に人によって感想が異なる作品だと思います。その中の一つの感想として楽しんでいただければ幸いです。

 トレンチコートマフィアの部分だけ読みたい人は途中飛ばしてください。

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桐島、部活やめるってよ』はスクールカーストの崩壊と逆転の物語

桐島、部活やめるってよ』は学校一の人気者・桐島が部活をやめるところからはじまります。

 ここから、登場人物たちが2つに分断されます。

 「桐島」に振り回される側と、振り回されない側。

 

 振り回される側としては、桐島が所属していたバレー部の連中や、桐島の彼女をはじめとしたグループがそう描かれています。

 学校一の人気者・桐島を権威として、彼を中心に築かれる権力関係。ここでは、桐島に近い者が偉いとされる。

 これがスクールカーストの正体です。

 アイデンティティみたいなものが桐島に依存しているわけです。そしてその桐島の権威を支えているのが、県選抜候補と噂されるほどエースとして活躍している部活です。

 だから、桐島が部活をやめるということは、彼の権威の失墜を意味し、それはすなわち彼を中心とした権力関係の終わりをも意味するわけです。

 なので、作中では、桐島が部活をやめることをきっかけとして、特にその中で桐島と近くにいたバレー部の連中や仲良しグループに動揺が走ります。

 

 一方で、振り回されない側として描かれているのは、主人公前田をはじめとして、吹奏楽部の沢島亜矢、バトミントン部の宮部実果、バレー部の小泉風助、そして野球部のキャプテン。

 前田や亜矢はもともと桐島からの距離が遠いということで当然に思われるかもしれないが、桐島に比較的近いと思われた実果や風助もここに入ります。

 彼らの共通点は、一見すると部活に入っていることだけのように見えますが、僕はそれだけではなく、「自分の中に支えがあること」だと思います。

 「桐島」という自分の外の権威に頼るのではなく、自分自身の中に支えがある。

 

 つまり、スクールカーストを支えていた「桐島」が消えたことで、「カースト上位」「カースト下位」がそれぞれ「桐島に振り回される人たち」「桐島に振り回されない人たち」に変化するという逆転が生じたことが映画全体を通して描かれています。

 

逆転するシーン

 そんな「桐島」に振り回される側とそうでない側が、衝突し、逆転するシーンが作中で何度か描かれています。

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出典:https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fhunihu2.hatenablog.com%2Fentry%2F2014%2F08%2F04%2F041441&psig=AOvVaw1JS5jHYg2enTTKymd5DTfU&ust=1612012309520000&source=images&cd=vfe&ved=0CAMQjB1qFwoTCJjkwP-bwe4CFQAAAAAdAAAAABAD
  1. 亜矢(吹奏楽部) vs 沙奈(宏樹の彼女)
     ここでまず挙げたいのは吹奏楽部部長の亜矢と宏樹の彼女である沙奈が衝突するシーン。
     両者は以前から、宏樹を巡って、沙奈が「あの子とよく目が合うんだけど」などと互いに敵意はあったが、それが沙奈と宏樹がデートの待ち合わせをするところに亜矢が遠巻きにアピ―ルする場面で顕在化する。
     待ち合わせに来る宏樹に対し、亜矢は吹奏楽の練習を装いながらアピールすることで、宏樹に気づいてもらって吹奏楽を練習する自分を見てもらって魅力を感じてもらおうとする作戦に出る。好きな子が近くにいるときついつい声が大きくなる男子中学生並みか?と思ってしまうけどそれが亜矢なりの精一杯のアピールなのだろう。まあ、彼女がいる人に正面切って告白するわけにはいかなかったのかもしれない。
     ともあれ、亜矢の必死のアピールも虚しく、亜矢の片思いに気づいた彼女の沙奈は、亜矢に見えるように宏樹とディープキスして亜矢をフルボッコにする。ここまでは沙奈の完全勝利。
     だが、物語が進むにつれ、形勢は変わってくる。
     そもそも沙奈の権力の源泉は、学校の女子カースト頂点・梨沙に近いことと、イケメンで万能型の彼氏・宏樹がいることであった。しかし、桐島が部活をやめて権力構造が変化する中で、沙奈は梨沙の腰巾着としての姿が強調され、その上宏樹にデートの約束を破られたりすることで、もともと周りに流されるだけなのにその上、頼りの存在を失った矮小な人物として目に映る
     その一方で、亜矢は失恋の悲しみを部活の吹奏楽の演奏に昇華し、部長としての役割を果たし、後輩から尊敬される存在として描かれる
     この点において、実際に本人たちから主観的にどう思うかはわからないが、外から客観的に見れば、ここである種の逆転が生じていると言えるだろう。

  2. 実果(バトミントン部) vs 梨紗(桐島の彼女)
     同じグループ内の実果と梨沙の間でも衝突が生じている。
     実果は姉と比べられることにプレッシャーを感じている上に、友達のかすみにもコンプレックスを抱いており、それゆえに似たような境遇でがんばっているバレー部の風助に共感を持っていたが、その風助を梨沙に「桐島くんがいなくなった分枠が空いてよかったね」と馬鹿にされたことをきっかけに、一気に梨沙に対し反感を抱くようになる。
     表面上は、学校のマドンナであり自分よりカーストが上の梨沙に従い同調していたが、内心では「あの人たち(梨沙や沙奈などのカースト上位女子)には(部活をがんばる自分たちの気持ちや苦労は)わからない」と反感抱いており、次第にそれが表面化してくる。
     ベンチの場面では一触即発の事態になるも回避されたが、ついに屋上のシーンで爆発する。
     ここでも、もともとカーストの上と下という構図が、「桐島を失い狼狽える梨沙」と「プレッシャーやコンプレックスを感じ挫折しそうになりながらも負けずに部活をがんばる実果」という構図に変化し、逆転が見て取れる。

  3. 風助(バレー部) vs 久保(バレー部)
     同じバレー部内でもこの現象は起きている。
     エース桐島の控えでしかなかった小泉風助と、レギュラーでバレー部内でも立場が強い久保。
     しかしこれが桐島の退部によって、エースの不在に狼狽して怒りを他人にぶつける久保と、桐島の代わりというプレッシャーの中でも負けずに練習する風助という像に変わる。
     桐島が来たと聞いて真っ先に久保が飛び出すシーンと、屋上でみんなが騒然とした中で風助が淡々と練習に戻ったシーンに表されていると思う。

  4. 前田 vs 宏樹
     最後にして最大、物語のメインに描かれているのが映画部部長・前田(主人公)と元野球部・宏樹(裏主人公?)の対比である。
     この二人は衝突しているわけではないが、作品を通して対照的に描かれ、最後に屋上で対話するシーンが印象的に描かれている。
     全校生徒に馬鹿にされるカーストほぼ底辺の暗い映画オタクの前田と、もともと野球部で活躍していてイケメンのカースト上位の宏樹。
     片思いしていた女の子が実はクラスのイケメンと付き合っていたことを知り落ち込む前田と、カースト上位グループの彼女がいて肉体関係も持っている宏樹。
     完全にカースト上位と下位、陽キャ陰キャ、勝者と敗者の両者。
     しかし、桐島の退部を契機として宏樹は次第にそのことに疑問を持つようになる。
     やることがなく、桐島を待つためにいつもバスケをして暇つぶしをする自分。
     バスケ中の会話で、部活はダサく、帰宅部だからイケてると帰宅部を肯定する友達に対して賛成しきれない自分。
     やましいことはないはずなのに、一生懸命野球に打ち込むキャプテンに対して後ろめたさを感じてしまう自分。
     そんな自分に気付く宏樹が、決定的に自分の空虚さを自覚するのが、屋上の最後のシーンである。
     陰キャの映画オタクの落とし物なんか拾わなくてもいいはずだったのに、自分より立場が強い人たちに対して自分の好きなものを貫いていた前田が輝かしく映ったのか、拾って声をかける。
     これは単純に優しかったとか、改心したとかではない。
     あえて、話しかけることで、自分とは全然違うということを確認したかったのだ。
     宏樹は前田との会話で質問する中で、カメラを向けながら、「将来の夢は映画監督ですか?」と問う。それに対して前田は違うと答える。映画監督にはなれないとわかってるけど、それでも好きだからやってると。
     「将来の夢は映画監督なんだ」と答えてくれたら楽だったのかもしれない。映画監督になるためにやってるんだったら納得がいく。自分とは全く別の人種だという風に諦めがつくかもしれない。ドラフトに一縷の希望を持つキャプテンに対してはまだそのように折り合いがつけられた。
     しかし、前田は自分と同じである。特別な人種なんかじゃない。
     そのことを突き付けられ、信念をもって何かをやることができない自分の弱さ、芯のなさ、空虚さに耐えられず、前田に「かっこいいよ」と言われても返すことができず、「俺はいいよ」と震える声で言って立ち去る他なかった。
     ここに、「他人から笑われても、先生から押し付けられても、自分が好きなことを貫き部員の心も動かすようになって成長した前田」「周りに流されて生きてきた結果自分の中にこれといって自分を支えるものがない空虚さに気付き崩れ落ちる宏樹」という最大の逆転がある。

【考察】誰かが飛び降りるシーンは結局何だったのか

 『桐島、部活やめるってよ』において、よく考察の対象になっているのが、作中の誰かが屋上から飛び降りるシーンは何だったのかということだ。友宏が見て、みんなが屋上に集まるきっかけとなったシーンだ。しかし、実際見に行ってみると映画部が撮影をしていて、特に誰かがいたような形跡はない。それゆえに謎だ。

 僕はこの正体は桐島なのではないかと思う。とはいえ、実際に桐島が飛び降りたわけではない。実際に飛んだわけではないが、そのように見せる一種の表現技法なのではないかと思う。

 では、表現技法だったとして、「飛び降りる桐島」は何を意味するのか。
 上記でも述べたように、桐島はバレー部のエース・学校一の人気者としてチヤホヤされると同時に、権力の源泉、権力構造の中心、スクールカーストを支える役割を担わされてたわけである。


 学校内の人気者としてカーストの頂点に位置する自分。しかしその一方で、別にスポーツ推薦であったりプロになれるわけではなく、言ってしまえば県選抜候補にしか過ぎない自分。そのギャップに苦しみ、結果として取った行動が部活をやめて登校拒否して人間関係をシャットダウンすること=スクールカーストの頂点から降りる=屋上(頂点)から飛び降りるということなのだと思う。


 この説のひとつの根拠となるのが、映画の最後に宏樹が桐島に電話をかけるシーンだ。屋上での前田との会話の後、校舎を出た宏樹は桐島に電話をかける。もともと宏樹は、部活を以前にやめているものの、桐島と同じ運動もスポーツも恋愛もできる万能型だ。しかし作中を通して、自分より下だと思っていた前田に対しても堂々と言い返せず、自分にはこれといえるものがないということ、よく言えば等身大の自分に気付く。このことによって、桐島と近い経験をした結果、今なら桐島の気持ちを理解できるのでないかと思って電話をかけたのではないかと思う。

 

映画『桐島、部活やめるってよ』とCreepy Nuts『トレンチコートマフィア』

  『桐島、部活やめるってよ』と似ているのが、Creepy Nutsの『トレンチコートマフィア』だ。

 この曲の『桐島、部活やめるってよ』MADは公式動画ではないが、Creepy Nuts公認らしいので見てみてください。

www.youtube.com

 

www.utamap.com

 歌詞とかは詳しくはサイトを見てほしいのですが、僕の印象に残っている歌詞が「それでもいつか見てろとほくそ笑んでた 俺にはこれがあるから コレがあるから」と「武器を持て さあ集まれ」です。

 

 『桐島、部活やめるってよ』は全体として大まかに言えば、自分の外のもの(映画でいえば桐島)に頼ってカーストの上に君臨してる、万能型の、イケてる人たちに対する、イケてはないけど自分の中に何かひとつ「コレがあるから」と言えるものがある人たちの小さな逆襲撃だと思うんです。

 別に現実はそう綺麗に逆転なんか起こらないし、結局映画の世界でも実際はカーストはそのままだと思います。

 ただ、自分の中に信じられるものがある人、「コレがあるから」と言えるものがある人、武器がある人は、いざ困難を前にしたとき揺るがない。そこに小さな逆転がある。そういうことを描いた作品だと思います。

 

 進路選択を控えた高校生をはじめとして、大人でも(といっても僕はまだ大学生ですが)、日常的に将来に対する漠然とした不安は感じる。そういうときに、つい自分の外のカーストとか、大人だと学歴とか社名とか年収とか、そういったものについ縋りたくなってしまうけど、日ごろから自分の中に「俺にはこれがあるから コレがあるから」と言えるものを自信を努力して積み上げて、いざというときに武器として持って立ち上がれる人間になりたいと思った次第です。